竹内栖鳳が極めた美。近代日本画を代表する京都の画家


 
竹内栖鳳

竹内栖鳳(たけうちせいほう)(1864〜1942)、本名恒吉(つねきち)は1864年(元治元年)に京都の二条城の近くの「亀政」という料理屋の家に、長男として生まれ、10歳上の姉・琴がいました。13歳になると土田英林(つちだえいりん)に絵を学び、17歳で幸野楳嶺(こうのばいれい)の私塾に移り、ここで初めて画号「棲鳳」と名を受けます。「楳嶺門下の四天王」と呼ばれるくらいその私塾で頭角を現します。

竹内栖鳳の生きた時代も、激動の時代だった言えます。栖鳳が生まれた年に蛤御門の変が勃発、3歳の時に大政奉還、翌年に1868年に戊辰戦争、1871年に廃藩置県、25歳の1889年には大日本帝國憲法が発布、30歳の時に日清戦争、40歳の時に、日露戦争、50歳となった1914年には第一次世界大戦が開始されています。目まぐるしく世の中が変わっていく様を目の当たりにしたのではないでしょうか。

20歳の時に、京都府画学校の北宋画科に入学し、23歳で終了した後、京都府画学校で出仕となります。さらに1895年の31歳時に京都市美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)も教諭に就いています。33歳の時に名を改めた画塾「竹杖会」には、上村松園(うえむらしょうえん)小野竹喬(おのちっきょう)橋本関雪(はしもとかんせつ)土田麦僊(つちだばくせん)などが入塾し次世代の画壇を背負う画家が栖鳳の元に集まります。

ミュシャ

1900年、36歳の時に農商務省と京都市から支給を受け、パリ万国博覧会(左図:ミュシャの手がけた万国博覧会オーストリア館のポスター)の視察に向かいます。パリだけでなく、フランスの各地、ドイツ、オランダ、イギリスなどの国に訪れ、ヨーロッパの美術に触れました。その影響で、ヨーロッパの風景や動物などを描いています。

42歳の時に、京都市立絵画専門学校が開校し、専任教諭となります。栖鳳の他に菊池契月(きくちけいげつ)山元春挙(やまもとしゅんきょ)菊池芳文(きくちほうぶん)などの京都画壇の実力者が名を連ねていました。

京都を拠点に活動していましたが、東京美術学校の岡倉天心に教授として声をかけられたり、日本美術院発足時、また再興した際にも、横山大観から学術顧問に誘われたといいます。東京に移ることで、高い地位と名誉が得られることは明らかでしたが、すべて断り、京都で研究を重ねました。

56、57歳(1920年)の時に、日本の伝統的な絵画の源流である中国絵画を生んだ自然や風物を自身の眼で確認したく、2度中国を訪れています。現地の人々の暮らしや風景などを写生し持ち帰っています。67歳で肺炎を再発するまで、精力的に制作を行っています。この時期に「斑猫(はんびょう)」(1924年)や「蹴合(けあい)」(1920年頃)などの代表作を生み出しています。

1931年、67歳で肺炎を再発し、神奈川県の湯河原にある天野屋という旅館に制作の場を移します。拠点を湯河原に移してからも、毎年、グループ展に作品を出品し、1937年(昭和12年)73歳で第一回文化勲章を受賞。晩年も、描く対象をしっかりと写生し、季節感あふれる自然の中に生きる動物を描いています。

78歳に再度、肺炎を発症し、回復と不調を繰り返しながら、絶筆となる「宮城を拝して」を完成させて、天野屋の住居で亡くなりました。






竹内栖鳳「池塘浪静(ちとうろうせい)」 1887年(明治20年) 絹本彩色 軸装

初期の代表作で、京都市美術館が所蔵する、栖鳳が23歳の時に制作されたのではないかと考えられている作品。円山応挙を祖とする円山派と、呉春を祖とする四条派を合わせた呼び名である四条・円山派の伝統的な画題に挑んだ瑞々しい感性がある作品です。
竹内栖鳳「池塘浪静(ちとうろうせい)」 

竹内栖鳳「百騒一睡(ひゃくそういっすいず)」 1895年(明治28年) 絹本彩色 四曲一双 大阪歴史博物館

手前の子犬は明らかに円山応挙を祖とする円山派の犬の描き方ではありますが、洋犬は明らかに描き方のテイストが異なっています。洋犬に比べると子犬にはあまり現実感がなく感じるのは、洋犬が写生によって描かれているためです。
竹内栖鳳 犬

竹内栖鳳「観花(かんか)」 1897年(明治30年) 絹本彩色 軸 

標本写真などを参考に、人体プロポーションの研究や観察を重ねて、科学的な知識を得ています。この作品「観花(かんか)」は、解剖学的な正確さが伴った作品といえます。自身の画塾でも美術解剖学の講義がなされていました。
竹内栖鳳「観花(かんか)」

竹内栖鳳「大獅子図(おおじしず)」 1902年(明治35年)頃 絹本彩色 四曲一双 藤田美術館

36歳の時にパリ万国博覧会の視察で訪れた後に描いた作品です。日本に帰ってきてから後、西洋的なモチーフや風景を多く描き、当時の日本人を驚かせました。迫力あるライオンの表情やたてがみ、毛の表現に、西洋絵画の油彩画の影響を見ることができます。油彩画のような重厚感があります。
動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人だったと言われています。
竹内栖鳳「大獅子図(おおじしず)」 

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竹内栖鳳「大獅子図(おおじしず)」 

竹内栖鳳「金獅(きんし)」 1901年(明治34年)頃 金地絹本着色 四曲一双 ボークス蔵

竹内栖鳳「金獅(きんし)」 

竹内栖鳳「ベニスの月」 1904年(明治37年) 絹本墨画 軸装 大阪高島屋史料館

墨で描かれていますが、これまでの山水画とは全く違い、まるで水彩絵画のようなテイストです。ベニスの建物や水面がぼんやりと浮かび上がる、幻想的な風景が描かれています。
竹内栖鳳「ベニスの月」

竹内栖鳳「絵になる最初」 1913年(大正2年) 絹本彩色 軸装 京都市美術館

ヌードモデルの姿になる前の恥じらう女性を描いた作品。東本願寺大師堂門天井画のための2人目のモデルの態度から着想を得ています。顔に当てられた左手の形に女性特有の柔らかさがあり、線の抑揚がとても美しいです。

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竹内栖鳳「日稼」 1917年(大正6年) 木版 額装 京都市美術館

東本願寺の土間で庭仕事の休憩にお茶を飲む女性を描いています。栖鳳自身、金箔が目立つので、バランスを取るのに周りを濃色したら写実が鼻につくようになってしまったとこの作品を失敗作と認めています。
着物の群青色が美しく、女性の表情や仕草にリアリティを感じさせます。ここにも西洋絵画の影響をむることができます。

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竹内栖鳳「斑猫(はんびょう)」 1924年(大正13年) 山種美術館 重要文化財

竹内栖鳳」といえばこちらのを描いた作品を思い浮かべる人も多いはずです。栖鳳が沼津に滞在していた際、八百屋の店先で猫を見て「そうだ、猫を書こう」と思い立ったという。そして、自身の一枚の絵を交換として、八百屋のおかみと交渉して猫を譲り受け、画室に自由に遊ばせながら丹念に観察して作品に仕上げたそうです。
毛並みには、すみ、黄土、胡粉、金泥を面相筆で塗り重ねられており、眼は、群青、緑青、金泥で塗り分けられています。発表当時は「猫」というタイトルでしたが、直筆の箱書きに現在のタイトルが示されています。画面を見た時に、エメラルドグリーンの眼が合う仕掛けとなっています。
竹内栖鳳 猫 

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竹内栖鳳「蹴合(けあい)」 1920年頃 絹本着色 大倉集古館

2匹の軍鶏が今まさに戦わんとする躍動感ある光景が描かれています。花びらが舞い散り、ドラマティックな演出がされており、襲いかかる脚は細部まで描きこまれています。刷毛の大胆に使いながら、毛量を表現し、質感までも感じさせます。決闘する2羽の軍鶏の緊張感が伝わる作品ですね。

竹内栖鳳「炉辺(ろべ)」 1935年(昭和10年)  軸 足立美術館

炉辺の近くで、暖をとって身を寄せ合う2匹のの姿を描いています。手前の子犬は、入浴後まもなく、毛があちらこちらの方向に向いています。絵筆の表情を残しながらも、毛並みを巧みに描いています。座り方は円山応挙の子犬の座り方を感じさせますね。
竹内栖鳳「炉辺(ろべ)」

いかがだったでしょうか。ご存知の作品や未知の作品があったかもしれません。今後、竹内栖鳳展など竹内栖鳳の展覧会があれば当サイトで改めて掲載いたします。






竹内栖鳳の参考文献及び作品集

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