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船越 保武「原の城」

亡霊のような立ち姿。「島原の乱」を題材にした船越保武の彫刻作品「原の城」


こちらは岩手県立美術館に所蔵されている船越保武(ふなこしやすたけ)(1912-2002)の「原の城」という彫刻作品です。

彫刻家・船越保武(ふなこし やすたけ)は舟越桂(次男)の父であり、三男の舟越直木も彫刻家として活動されています。

この「原の城」は1971(昭和46)年に制作されており、1637(寛永14)年に起きた島原の乱が題材となっています。

島原の乱は、島原や天草の領民が1637(寛永14)年に領主の苛政やキリシタン的動きの取り締まりに耐えかね起こした農民一揆。当時すでに廃城になっていた原の城に2万7千の一揆軍は立てこもり応戦。凄惨を極めた戦いの末、10数万の幕府軍に敗れ去り全員殺害された。

その原の城址を舟越保武が訪れた時は、静かな海を背に花々が咲き雲雀鳴く明るい長閑な丘であった。かつて凄惨な戦いがあったとは。かえってそこが明るく静かであっただけに、彼には地の底から数万のキリシタンや農民たちの絶望的な鬨の声が聞こえるようで悲惨な結末が不気味に迫る。

以来、現実と幻想、実像と虚像という相反する世界を彫刻家は行き来することになる。本丸で討ち死にした兵士が雨上がりの夜に月光を浴び亡霊のように立ち上がる姿を心に描く。現実と幻想の間を浮遊する像、現れ消える。彫刻という実体のあるものによって幻覚のようなものを作りだそうとした。これができ彫刻家は原の城の幻影から解放された。 岩手県立美術館より

船越保武自身も1950年、長男が生まれて間もなく急死したのを機に、自らも洗礼を受けてカトリックに帰依していおり、この「原の城」もキリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作の一環と言えるのでしょう。

目と口の奥の闇がとても深く感じられ、まさに放心状態の様を描いています。

この作品で1972年に中原悌二郎賞を受賞しています。






原の城(舟越保武)

船越 保武「原の城」@ 岩手県立美術館

船越 保武「原の城」@ 岩手県立美術館

船越 保武「原の城」@ 岩手県立美術館






“寛永十五年 如月二十八日 原の城 本丸にて歿”

“いえずす たまりあ”






 
 
 

2015年7月15日に投稿された記事を再編集しています。

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