曽我蕭白

曽我蕭白の奇想世界。卓説した技術と強烈なインパクトで魅せる無頼の絵師


伊藤若冲と合わせて人気の絵師・曽我蕭白は江戸時代を生きた絵師で、「異端」、「奇想」、「異様」、「破天荒」または「エキセントリック」などといった言葉で形容されること多いです。曽我蕭白の代表作「群仙図屏風」などにそれらの言葉が当てはまることだろうと思います。当時も「邪道に陥った者」、「画体いやし」などと評価されていました。

曽我蕭白(そがしょうはく)(1730-81)は、丹波屋を屋号とする京都の商家の出身狩野永納の弟子である高田敬輔に学んだとされています。20代後半から曽我派の末裔を自称し、1957年(宝暦8年)29歳の頃から三重県の伊勢、松阪を訪れ商家や寺院に障壁画を残しています。各地を訪れ、1964年(明和元年)35歳頃にまた伊勢に訪れ、「群仙図屏風」、朝田寺で「唐獅子図」、継松寺で「雪山童子図」を斎宮永島家障壁画「松に鷹図襖」、「竹林七賢図襖」などを制作しています。同時代的にいうと、伊藤若冲が「動植綵絵」を相国寺に寄進したのは、翌年の1965年、伊藤若冲は50歳の時です。

「画を望めば我に乞うべし。絵図を求めるなら円山主水よかるべし」と語っていたそうで、円山応挙をライバル視していました。






曽我蕭白「群仙図屏風」左隻 1764年(明和元年)紙本着色 六曲一双 172.0×378.0cm

曽我蕭白の代表作として名高い傑作。左隻に描かれたのは、童子たちと鯉、鶴、仙人、仙女、蝦蟇(がま)が描かれており、モチーフのセレクトから制作を依頼した方が生まれた子供の長寿を願って依頼したのではないかと推測れています。長寿や誕生をテーマにしたとはいえ、どのモチーフととって見てみても「狂気」を感じざるをえない、存在感を放っています。登場人物たちのキャラのクセが凄い。
曽我蕭白「群仙図屏風」左隻

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こってりと描きこまれた細部とショッキングな色彩、童子たちの表情は異様としかいいようがありませんね。
曽我蕭白「群仙図屏風」拡大

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曽我蕭白「群仙図屏風」拡大

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曽我蕭白「群仙図屏風」拡大

曽我蕭白「群仙図屏風」右隻

こちらは仙人が4人描かれている右隻。龍に跨り、大きい波の上に乗る青い衣服をきた仙人と、その仙人に手を振る仙人、赤い衣服をきた仙人、その奥にいる仙人。もはや生命体のような波
曽我蕭白「群仙図屏風」右隻

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曽我蕭白「雪山童子図」明和元年(1764年)紙本着色 一幅 三重・継松寺蔵

主題は釈迦の前世譚で、釈迦が実はインドラ神の化身である世に最も恐ろしい鬼と遭う場面が描かれています。こちらの作品も「群仙図屏風」が制作された時とほぼ同時期で、描かれた人物や描写感などに共通する何かを感じさせます。

曽我蕭白「寒山拾得図(かんざんじっとくず) 拾得図」(1762年頃)紙本墨画 双幅 興聖寺蔵

画題は寒山と箒(ほうき)を持つのが拾得、経巻を手にするのが寒山です。どちらも中国の天台山国清寺にいたという奇人で、寒山が文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、拾得が普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身と言われています。曽我蕭白だけでなく、長沢芦雪、狩野山雪、葛飾北斎なども描いています。
蕭白のこの「寒山拾得図」だけでなく、1759年版の「寒山拾得図屏風」という作品もあります。寒山と拾得は世俗を超越したようなエピソードや奇行が多く、乞食同然の生活を送っていたこともあり、蕭白にとって寒山拾得と言うモチーフを身近に感じたのかもしれません。

「寒山拾得図 寒山図」 

曽我蕭白「唐獅子図」(1764年頃)(明和元年) 双幅 紙本墨画 朝田寺蔵

三重県の松阪市にある朝田寺が所有し、蕭白が35歳頃に伊勢に再訪した際に描いた作品です。唐獅子の輪郭は異常な躍動感に溢れながらも動物としてもフォルムを表現しています。この作品の他に「獏図」「布袋図」「雁図」「唐人物図」「雄鶏図」など約10点の曽我蕭白の作品を所有しています。
曽我蕭白「唐獅子図」
曽我蕭白「唐獅子図」

曽我蕭白「柳下鬼女図屏風」(1759年頃)二曲一隻 紙本墨画 東京芸術大学芸術資料館蔵

木枯らしが吹く中、柳の下を角の生えた三つ目の鬼女が柳の下を素足で歩いている様子を描いた作品。夫に見捨てられた女が悲しみや恨みによって鬼女に変身する能の演目「鉄輪(かなわ)」をテーマとした作品と言われています。
曽我蕭白「柳下鬼女図屏風」

曽我蕭白「美人図」絹本着色 一幅 奈良県立美術館蔵

虚ろな目と、ビリビリに破れた男からの手紙を口に咥えている狂気を感じさせる女性を描いています。足元をヌラヌラと乱れる着衣と爪に詰まった土、女性のお腹が微妙に膨らんで見えるは、蕭白の意図かもしれません。
曽我蕭白「美人図」

曽我蕭白「雲龍図」 1763年(宝暦13年) 紙本墨画 襖マクリ四面 ボストン美術館蔵

襖8枚分に及ぶ超巨大な龍を描いた超大作品。右端には「曾我蕭白行年三十四歳画」とサインされており、1763年に描かれたことがわかります。橋本関雪はこの作品を見て、「二頭の龍が、さながら生けるが如九、村人の膽(きも)を奪って跳り出さん」と称しており、この感想が「雲龍図」のことであれば、もう1匹の龍が描かれた「雲龍図」が残っている可能性があると考えられています。
また、近年、ボストン美術館の協力の元、キヤノンがこの「雲龍図」 を高精細複製して天龍寺に寄贈したことが話題となりました。
雲龍図

曽我蕭白の奇想世界はいかがだったでしょうか。以前に、伊藤若冲の作品も紹介していますので、曽我蕭白にご興味のある方は、伊藤若冲の作品も合わせてご覧ください。以下。

伊藤若冲の超絶技巧。天才絵師の繊細で濃密な絵画作品

また、2019年2月9日(土)~4月7日(日)の期間には東京都美術館で「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」が開催され、「雪山童子図」が展示されますので、是非、この機会に観たいですね。






この記事は参考資料などを元に作成されています。

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